Velox1’s blog

人生を変える経験を。

30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由

こんにちは。

いきなりですが、わたくし個人事業が倒産寸前です。

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再起といっても口で言うほど簡単ではない、しかし、諦めたらその時点で終了。

そんな私に一つの道標となる本に出会いました。

ハイレバレッジ経営で踊り、不況局面に突入すると業績急転直下りで資金ショートし最後の曲が止まる。まるで自分を代筆してくれたかのような内容です。

コロナショックで大変な思いをされている方も多く参考に紹介させて頂きたいと思います。

私自身もこの本で学んだことを糧に、リスクテイク量をコントロールした上で再起を図ります。

・不動産ディベロッパー業界で28歳で上場達成。根拠のない自信 だけで、「踊るしかないパーティー」を踊り続け、増収増益を継続。

・2007年リーマンショックの直撃で潮目が変わり、高負債・高投資のハイレバレッジで400億円の負債を抱えて倒産

印象に残った箇所をシェアします。

1 離婚という、もう一つの転機

私が妻を怒鳴るのは、この夜だけのことではなかった。私自身、またまだ精神的に未熟だった。妻の心配をシャットアウトして、仕事のことで俺に話しかけないでくれと拒絶することしかできなかったのは、今でもとても後悔している。

ある日、いつものように酔っ払って自宅に帰ると、妻が神妙な顔で待ち構えでいた。 「もう限界なの。子供を連れて実家に帰ります」

妻からの離婚の申し出を拒む理由はなかった。当時借金ばかり膨れ上がっている状況だった私に、まともな慰謝料は払えない。結局、子供のために毎月25万円の養育費を渡すことで合意した。

私は離婚届にサインして判を押し、「明日役所に出しておいてくれ」と席を立った。 我ながら勝ってな男だ。妻には償いきれないほどの心の傷を残してしまっただろう。

会社が坂町を転げ落ちるような苦しさに直面していた私にとって、離婚は少なからず衝撃的な出来事だった。ことに、まだ2歳のかわいい娘との別れは辛かった。家庭という歯止めを失って、酒量はますます増えていった。

この離婚を境に私はさらなる奈落の底に落ちることになる。

2.リーマンショック〜甘い思惑は幻想だったのか

深夜のシャワールームで手のひらに抜け落ちた髪の毛を見ていると、腹の底から例えようのない悔しさが湧き上がる。 「いったい、なぜこうなったんだ。どこで歯車が狂ったんだ・・・」

悲鳴を上げ始めた自らの肉体を鏡に映し「いっそ死んだ方がましだ」とまで考えた。

シャワールームを出ると、扉の脇に白いタイル貼りの壁が目に付いた。「くそお」と呻くような声を漏らしながら、タイルの壁をぶち当てる。

ゴッと鈍い音がして拳が裂けた。

真っ白なタイルに鮮血の染みができ、その赤さがまた自分のなかの悔しさを沸騰させる。

・・・

私は繰り返し、白いタイルの壁を殴り続けた。右の拳から溢れた赤い血が、白いタイルに前衛アートのような地獄の地図を描いていった。

3 終戦

「社長、ご決断ください」 銀行マンはそういうと、振り向きもせずオフィスを出ていった。

「踊るしかない」パーティーは、すでに最後の曲が鳴り終えていたのである。

私は金のために会社をやっていたわけではない。日本を代表する総合不動産企業にするという夢を追いかけてここまでやってきた。その夢があったからこそ、どんなに辛いことがあってもここまで歯を食いしばって耐えることができた。しかし、この状況では夢を絶たれたのも同然だった。

1日300万円膨らんでいく借金、明日にも潰れそうな会社、離れていく仲間や社員。私はいったい何のために戦っているのだろうか。いったいこの先の未来にどんな希望を見出せるのだろう。

会社を出て線路沿いを歩き始めると、自分でも意識せぬまま涙が溢れ出した。リーマンショック以降、どんなに苦しくても弱音を吐くことはもちろん、涙を流したことは一度もなかった。私の中で、涙は「終戦」を意味するからだ。どんなに絶望的な状況であっても、どんなに微かではあっても希望の光を探し続けてきた。

しかし、この日はもう駄目だった。 涙腺は崩壊し、血のように生温かい涙が止めどなく私の頬を濡らしていった。

4 新たな始まり

まず新たな会社の経営理念や行動指針、当面の目標を定めることから取り組んだ。

前は無我夢中で走りながら、わけもわからず手探りで理念や行動指針を決めてきた。しかも、結局はその理念すら見失って破綻した。

明確な理念な行動指針と、それを貫くことの大切さを、私は身をもって学んだのである。

今回の新たな起業が成功し、会社が成長すれば、その経験は無駄ではなかったことになる。

5.永続への方法論

積み上げたストック型の収益(賃料・手数料)を会社の基礎体力として、その土台の上で開発を手がけ、成長を続けていく。

また、具体的な事業展開手法にも「譲れない一線」を引くことにした(〜限定などルール)

「誰もが楽観的で景気の良い時は守りを固め、誰もが悲観し景気が悪い時こそ勝負する」

今まで学んできたことを、今こそ生かす時だ。 信じた道を、ゆっくりと一歩一歩着実に進めばいい。

失敗から目を背けることなく、それを認めるからこそ未来が開ける。大切なのは、過去よりこれからの未来だ。

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