Velox1’s blog

人生を変える経験を。

歴史の「事実」と「記憶」〜広島原爆投下の悲惨さを訴えても戦争がなかった日が1日もないのはなぜ?

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過去の歴史を読み解くにあたり、客観的な出来事としての「事実」と、それを解釈し伝えていく主観的なストーリーとしての「記憶」は明確に区別されるべきである。


例えば、「第二次世界大戦」を語る際、アメリカ人は1941年パールハーバーから奇襲攻撃から勇敢に戦ったことを語るのに対し、日本人は広島原爆と天皇玉音放送という終わりから敗戦として語る人が多いだろう。それぞれの国でそのようなストーリーとして語られているからだ。


歴史にはそれぞれの国でそれぞれのストーリーがある。また、そのストーリーは時代、地政学的な要素で変わる可変的な危ういものである。しかし、歴史を学ぶというのは、事実を知ることが目的ではない。その原因と結果をしっかりと把握して、悪い結果をもたらした出来事が二度と起きないよう、自らアクションを起こすことである。


その理解にストーリーを掴むのはとても有益な手法である。色んな国のストーリーを学ぶことで多面的なものの見方を学び、視野を拡げられる


「事実」と「ストーリー」双方補い、理解が血肉化されていくのである。


1937年第二次上海事変だけでも、どっちが仕掛けたかだけでも日中間で見解は異なるし、それぞれ都合よく解釈されてしまう。ただ、そんなことはどうでもよくて、なぜ起きたのか、そこで何が起きたのか、それがどう繋がり、未来にどう役立てていくか、そのアクションが重要だと思う。


広島の原爆慰霊碑に「Never again」と刻まれているが、残念ながら戦争がなかった日は1日もない。世界共通のストーリーではないから。


一個人は無力にも思えるが、ストーリーとはアンオフィシャルなもので、政府を通さずに民間だけで変えていけるものである。小さくても自らアクションを起こすことが大切だし、「選挙の1票投票」で政府を通して働きかけることも決して難しいことではない。


本を読んで記憶を学ぶだけでなく、小さいことでも何でもよいので世界の平和のために働きかけをしていきたいと思う。